日常

洗濯機がまわる音がする。明日で5月が終わる。

暑くなり、喉がかわく。

明日で、夫が亡くなり、丸14年になる。

いないことが日常となり、久しいので、いないことを悲しむという感じはない。

寂しさは、ある。

いや、むしろ、いないことが寂しいというよりは、いないがために、私の役目がないことが寂しい感じがする。

14年前を思い起こした。

最後の注射、最後の言葉、

最期の想い、最期のがんばり

はっきり覚えている。

その場面を浮かべると、今でも普通の自分ではいられなくなるが、そう、言いながらも、

普通にご飯を食べ、普通に仕事をし、普通に睡眠を取り、好きな卓球をして、普通に過ごしている。

哀しみにくれるのも、私。

平気に過ごすのも、私。

どちらも、ありのままの私。

二重人格でもなく、偽善者でもない。

日常を、ただ生きている。

それだけ。

洗濯が終わったことを伝えるブザーが鳴った。

明日は木曜日だ。

眠気を感じる。

日常を生きながら、人生をより良く、生き切りたい。