介護の仕事が、江戸時代にも?? - O−SAMは、まだユクのか?

とても感心するのが、この人のテーマ設定。 今度は、介護について。

ウチにも、若干一名、ウロウロはしないが、母親が一人で、生活している。 とはいっても、毎日誰かが、訪問していて、デイサービスの日もあって、何とか暮らしているのだが。 が、さてさて、寝たきりや、ボケやら、オレオレ詐欺など、ある意味、物騒なことも考えると、やはり気になる。 ただ、今のところは、本人も頑張っているようで、勝手に住みついたネコを相手に、しゃべりながら、一応食べるのも、その辺を歩くのも、こなしているが・・・

さて、この本では、いわゆる「口入や」〜当時の職業紹介所?かな〜の中でも、特に身の回りの世話をする(片麻痺やら、痴呆やらの人たち相手に)主人公から見た、物語りなのだが。

当時は、介護などという言葉もない。 で、年寄りの面倒を見るのは、身内の「考」というか、家人(あるじ=主人〜実の子供でなくともあり)の義務?で、それをしないのは、「親不孝者」という世間の目があった、らしい! が、大抵は、その嫁(義理も含めて)が、嫌でも世話をする羽目になって、これが元で、いろいろと揉めることになるのが、ある意味、それが物語に発展するのだが。なので、人を雇って、身内などの面倒(この場合は、介護だが)を見てもらうのは、少しお金持ちでないと、無理だった時代。(今も、たいして変わらないかも)しかも、症状はいろいろで、単に足が一時的に不自由な人とか、もうすぐあの世生きの病を持った、動きがやや不自由な年寄りの面倒など、様々である。(もちろん、ボケやら、ガンやら、相手はいろいろであるが)

この人のストーリーの展開は、なかなかハラハラするのが楽しみで、どういう決着になるのか? でも、最後まで読み終えると、何となくすがすがしい気持ちのなるのが良い。(気持ちよく死ぬ、ということを考えさせてくれる!)

で、続いて読んだのが、コチラ。

ややキワドイ内容!

少しだけ、良いな、と思ったのは、フィリピンでは、老人ホームが無い?らしい!  何故なら、イザとなったら、誰か(もちろん家族もあるが、それ以外でも)が、助けて、面倒を見る、のが当たり前で、それが、普通にあって意外と、双方とも日々楽しそうに暮らしている、という。 〜本当だろうか?〜  なので、無一文になっても、困っていたら世話する誰かがいる。 う〜ん、孤独死する日本とは、大違い。

なので、日本を捨てて、文無しになった人が、結構いるらしく、この本は、その人たちに密着取材?した内容になっている。 少し、疲れる実話物語ではある。

その昔、つい60年くらい前(昭和〜古う−〜30年代かな)なら、近所同士、夫婦喧嘩のハナシやら、おかずのやり取り、醤油の貸し借りなど、当たり前の会話があり、困っていたら、何とか助けようとか、近所の子供も一緒に、大人が銭湯につれていったりなど、和やかなつながりがあった、なあ〜。