今日も、朝から熱い日差しが照り続けていますが
私の手元に、ある原理講論は、四十年以上前に買った古い物で、
ページを開くと、
当時、押し花にした四つ葉のクローバーや、原理テストの答案用紙などが、
時を越えて、出てきたりして、懐かしい思いで一杯になります。
私の手元には、最近の八材教本はなく、
新しい物は、すべて顕進会長が書かれた書物と、文先生の自叙伝です。
この自叙伝と、コリアンドリームや神様の夢の実現を読めば、
顕進会長が、如何に文先生が語られた内容や伝統を相続しているかが、明らかに誰しもが理解出来るのではないでしょうか。
最後に文先生が語られたように、
自叙伝は、八材教本に勝るとも劣らない、書物だと思います。
自叙伝の中で語られているように、
また、顕進会長が神様の夢の実現の中でも語られているように、
根はひとつであるけれども、
問題はイエスをめぐる解釈です。
同じように、文先生に対する解釈の問題が、今日の分裂を大きくした要因のひとつであると考えられます。
私は、幾度も、アメリカにいる古い友人に、
摂理の中心は、誰であるかと訊ねてみました。
6000双の祝福を受けて、日本をすてて、
文先生について行った友人の答えは、
御父様でした。
先がけて、神様のみ言葉を知った者として、
キリスト教と文先生が一帯とならなかったことに、
もっと、恨を感じなければならないのかもしれません。
今日も前進、、