終わりを意識する   享楽にふけることで、一時的に忘れることはできる。 だがそれは静かに、着実に歩み寄ってくる。 ( サッカー )

覚悟の磨き方 死・SPIRIT PROLOGUE

松陰からの学び

終わりを意識する

享楽にふけることで、一時的に忘れることはできる。

だがそれは静かに、着実に歩み寄ってくる。

もしくは予想を裏切り突然やってくる。

ひとりとして例外はなく、いつかは必ず対面する。

あろうことか、本人も知らないうちに。

死。終わりを意識できるのは人間だけだ。

それでも懸命になって、死のイメージから逃れようとする人は、

いつの間にか

「人生はいつまでも続くもの」

だと思い込まされているのかもしれない。

人生は長いと思う人もいる。人生は短いと思う人もいる。

だが本気で生きるということは、

「わずかな残り時間でなにができるか」

を必死で考えることによく似ている。

やり残していることを、臆せずにやればいい。

死を意識すれば、人の“生”は否応なく正解を導き出すはずだから。

松陰は死罪だとわかっていながら、迷うことなく海外へ密航しようと試みた。

死ぬまで出られないとわかっていながら、牢獄の中で「人生とはなにか」を

学び、人に教え続けた。

三〇年という短い一生の中で、松陰が見つけた“死への決着”とはなんだったのか。