古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その744) - 奈良

安岡正篤人生を拓く(神渡良平著・講談社α新書2001刊)」を読んだ。神渡良平(かみわたりりょうへい1948生れ)氏は、九州大学(医学部)中退後、新聞記者・雑誌記者を経て、作家となる。38歳の時、脳梗塞にて半身不随となるが、社会復帰のためにリハビリ闘病する中で、安岡正篤(やすおかまさひろ1898〜1983)の著作と出合ったようだ。安岡正篤は戦前戦後を通じて明治以降数少ない儒学者陽明学者)として有名で、東大法科を出るも西洋かぶれせずに変人とされたが、大川周明北一輝などと共に行動右翼と目された時期もあった。右翼が屡(しばしば)、妥協を許さない偏狭な性格を持ちテロなどに走る傾向が強いことを嫌って、袂(たもと)を分かっている。戦後は、政治家や企業経営者の修身を説く私塾活動に専念し、多くの賛同を得ている。田中角栄は肌合いが合わない安岡正篤には教えを請わなかったそうであるが、それまでの東大出の官僚派の総理・議員は多くが安岡正篤の塾に参加してきたようだ。-----

神渡良平は、安岡正篤の薫陶を受けた社会の成功者にインタビューしその内容をこの本にも掲載している。日本では仏教が形骸化しており、心の憂いを癒して呉れる教え・思想があるようでないのだが、安岡正篤の私塾は丁度、幕末の松下村塾の様に志の高い人々の支えとなったのだそうである。結局東洋思想が日本人にはピッタリと当てはまるのだろうと思ったが、神渡良平氏はヘレンケラーやマザーテレサ高橋尚子の監督小出義雄のことも書いており、安岡正篤一辺倒ではない。-----

日本人は哲学・思想に弱い(理解出来ない)人が多い。どうせ東洋思想と云ってもインドの仏教か中国の儒学であるのだが、日本に移入して日本流に改変すると似ても似つかぬものになるのだが、元々哲学思想にお弱い国民であるので、先生側が間違っていても気にしないし、気が付きもしないのだろう。一生かけてカリスマ的に精進する先達がいると信者が出来てしまうのだろう。安岡正篤のエッセンスと云っても結局は王陽明の焼き直しに過ぎないのだが。-----

奈良県ビューロクラートテクノクラート安岡正篤の本を一冊位は座右に於いても良いかも知れない。江戸時代の優れた文化を醸成したのは陽明学であるのだから。