草加の爺源氏物語の現代語訳玉鬘たまかづらその十

宿願の再会を果たした右近と玉鬘は初瀬から京都に戻って来たー。

右近は源氏の大殿の御屋敷に参上した。源氏の大殿にひょっとして玉鬘との邂逅を、それとなく匂わせて耳に入れ申す

機会が有るかも知れないと、六條院への訪問を急いだのである。右近が乗っている牛車を御屋敷の御門内に乗り入れると

同時に、六條院の様子が普段住んでいる二条周辺とはがらりと変わって、大層広と感じられ、源氏の許へご機嫌伺いに

やって来た牛車が混雑を極めている。物の数ではない身分の低い者としてこの広壮な邸宅を訪問する右近にとっては、彼女が

恥ずかしい思いをしないではいられない玉の如き大御殿なのですから。

右近はその夜には、女主人紫上の所には行かずに、自室で玉鬘の事を考えながら寝についたのだ。翌日、宿下がりをして

実家から昨晩六條院に帰って来た上位の古参の女房や若い女房が大勢いる中で、紫上が特別に右近を名指しでお召しなされたので、

右近としては面目を施したように感じるのだった。大殿の源氏も御自分の居室の方にいらっしゃる折に、右近の顔をご覧になられて、

どうして右近、君は宿下がりを長くしていて、戻らなかったのか。珍しい事ではないか。真面目な堅い人が急に若返って、好色に乱れる

ような事もあるようだ。きっと、面白い事件でもあったのに相違ないなどと、堅実で真面目な右近に対して、少しばかりうるさくきつい

冗談を言い掛けなされた。それで右近は、御殿より退出致しから七日を過ぎましたけれど、私如きに格別に面白いことなども御座いません

でした。ただ、初瀬の山に足を踏み入れまして、しみじみと心に感じる如何にも美しい人を見つけましたと申し上げた。すると源氏の大殿は

それは誰であるか?と質問なさいます。これに対して右近は思った。不用意にひょいと、もしも源氏に申し出すとしても、実はまだ女御主人

の紫上に何事もお話申し上げていない段階で、後になってから紫上が御耳に挟まれて、右近は私紫上に隠し隔てをしたのであった、と

悔しく思われるかも知れないなどと考え直して、思いが様に乱れてしまい、丁度その折に女房達が源氏の所に参ったからそのうちに

申し上げましょうとだけ返答した。

やがて室内には夜間の灯りが点されたりして、源氏の大殿と紫上とが非常に打ち解けなされた御様子で、お二方でお揃いの御様子は

それを御見申し上げる甲斐が大層多い事で御座いました。

女君の紫上は現在、二十七八歳の年齢におなりで御座いましたろう。女性としての最盛期にさしかかり、上品にして美しく円熟なされて

居られます。お会いしないでいて、しばらく時間を置いてから見申し上げますと、ほんのしばしの間お会いしなかった間に、さらにまた、如何

にもつやつやとした美しい一層の魅力を加えなされたと、右近の心に強い感銘を与えたのです。それで、右近は心の中で思うのだ。

玉鬘の姫君を非常に素晴らしい美しさだ。紫上にも勝るとも劣らないと、初瀬で感じたものだが、美しいと思う気のせいであろうか、やっぱ

り紫上のこの上ない美しさに接して、幸運のあるお方と、無いお方とでは当然に差別や隔てが出て来るものなのだと、眼前に紫上の

美しさを見て思い合わす所があるのだった。やがて源氏は御就寝なさると言って、おみ足を揉ませに右近を呼び寄せた。その際に、源氏が

言った。年若い女房は、足揉みを骨が折れると言って面倒がる。やはり、このような際には年寄り同士が心が通い合って、都合が良いよう

であるなと仰ったので、側近くの女房達は忍び笑いをするのであった。その上に密かにそっと、左様でありましょうか、面倒な用事には

相違ありませんが、誰が源氏様の御側で、その仕事で召使い慣らすような事を、面倒がりましょうか。面倒がる者などは居りませぬ、ただ

源氏様が好色めいたうるさい冗談で、私達を困らせなさるからね。それで、面倒な振りをするに過ぎませんなどと陰で言い交している。

紫上も君右近が年を取ってしまっているとは言え、私が君に対してあまり度を過ごして打ち解けたりしたならば、年を取っているとは言え

やはり御機嫌を損ね兼ねないからね。用心しないといけないよなどと右近に語って笑うのだ。そういう源氏は非常に好印象を人に与える

素晴らしい魅力を備えて居り、その上に風情のある様子までも加わっていらっしゃる。現在では太政大臣として朝廷にお仕えして、多忙という

御様子ではありませんので、世の中の事が自然にのんびりと心配もなくいらっしゃるので、とりとめもない御冗談事などを申されるのだ。

そして、女房の心持を興味を持って御覧になられる余りに、若い女房には勿論のこと、右近の如き老女房に対しても冗談を仰るのだ。

それから又前の話の続きに移り、さっき申した、思いがけなく発見したという者とは、一体どのような人物なのであるか。さぞかし長年

修行を積んだ高徳の修行者の類を、仲良く語らって連れて参ったのであろうか。山踏みして尋ね出した美しい人というのは、恐らくその様な

人なのであろうと源氏が冗談交じりに質問すると、右近は大真面目で、修行者を誘惑したなどとは、人聞きも見苦しい事でございまする。

修行者などではありませんで、儚く露の如くに失せてしまわれた夕顔の如きお方の、形見の姫君を発見致したのですと申し上げる。源氏は

非常に吃驚なされて、そうであったか、それは実に感慨深く感無量なことであるなあ。この長い年月の間、その縁ゆかりは何処に居たの

であろうか?とお尋ねになられた。

右近は、玉鬘の不運の半生を有りの儘に申し上げ辛く、遠慮したり繕いもしながら、常の所とは変わった汚い山里に、如何にも見つけた

ので御座いました。五条に夕顔様が在世当時仕えていた女房の一部も、今も変わらなくて、夕顔在世当時の儘で居りましたので、当時の

話をし出しましたので懐旧の情が自然に耐え難くなりましたなどと、源氏と紫上に語ったのでした。

源氏はことの意外なのにためらいながらも、よし分かった、話はそこまででよい。そこから先は、話の事情を知りなさらぬ紫上には、語らな

いようにしてくれと、右近に口止めするのだ。すると紫上はその言葉をお聞き遊ばされて、ああ、本当に面倒臭いこと。私は眠たいので

その様なお話に関心を持つはずもないのですがと直ぐに着衣で両の耳を塞いでしまわれた。ですから、源氏は安心して右近と会話を

続ける。それで、その姫君の容貌などは母親の夕顔と比べて見て、どうなのであるか。劣ってはいないのであろうか?と訊く。右近は答え

る。嘗ての昔には、必ずしも母夕顔程の美しさとも感じて居りませんでしたが、現在では、如何にも夕顔様以上にお美しい魅力を備えて

御成長なされていらっしゃいますと返答した。そこでさらに源氏は言う。それは、実に称賛すべきことであるな。美しさは、誰程であると

思われるか、この紫上の君ほどであろうかと。そこで右近は、どうして紫上様ほどの素晴らしさをお持ちでありましょうか。しかし、上様に

多くは劣りますとも思われませぬとお答えした。