日月神示第十七巻地震の巻第十一帖

日月神示

第十七巻地震の巻(全十九帖)

第十一帖(三八八)

霊人は、遠くにいても近くにいても、常にお互いに語り得る。同一線上にいる霊人の言葉は、いずれも同一であって共通する。霊人の言葉は、霊人の想念のままに流れ出るのであるから、そのままにして通ずるのである。しかし、相手が聞くことを欲しない時には聞こえない。それはちょうどテレビやラジオのごときものであると考えたらよい。またその語ること、その語音によって、その相手のいかなるものなるかを知り得るのである。すなわち、その発音から、また言葉の構成から、その霊人のいかなるものなるかは、ただちに判明する。霊人の言葉と地上人の言葉とは本質的には同様であるが、その表現は相違している。故に、霊人と地上人と会話する時は、霊人が地上人の想念の中に入るか、地上人が霊人の想念に和するか、そのいずれかでなくてはならない。しかし、霊人の言葉は、地上人の言葉に比して、その内蔵するものが極めて深く広いが故に、霊人の一語は地上人の数十語、数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増してくるのである。原因と結果とを一にし、さらに結果より生ずる新しい原因も、新しい結果ををも同時に表現し、なお言葉そ\xA4

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の固さを感じさせる。そしてそれは月の光と、水のごとき清さとを感じさせる。また前者は曲線的であって消極面を表に出し、後者は直線的であって積極面を表に出している。また前者は愛に住するが故に、主としてとのや音が多く発せられ、後者は智に住するが故に主としてとの音が多く発せられている。そして、そのいずれもが音によって統一要約する神密極まる表現をなし、またそれを感得し得る能力を持っている。しかし、これら、及びの母音は想念のをなすものであって、地上人よりすれば、言葉そのものとしては感得し得ないことを知らねばならないのである。霊界における音楽もまた同様であって、愛を主とした音楽は及びを多分に含み、曲線的であり、真を伝える音楽は及びの音が多く、直線的である。それは、言葉そのものがかかる内質をもっており、各が霊界における生命の歓喜の表現なるが為である。またこれら霊人の言葉は、天的の韻律(いんりつ)をもっている。すなわち愛を主とするものは、五七七律を、真を主とするものは、三五七律を主としているが、その補助律としては、千変万化である。言葉の韻律は、地上人が肉体の立体を持っているごとく、その完全、\xCC

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